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はなしてみてわかること

第3回「ゲームとCGの進化について」 取締役・アートディレクター 本根康之

ゲーム業界に進んだきっかけ

杉浦:

ゲーム業界に入るきっかけってどういったものでした?

 
本根:

ゲームはもともと好きで、ゲームセンターでは格闘ゲームなどを遊んでいました。
でも、当時はそこまで「ゲーム業界に入りたい!」という風には思ってなくて、
フリーのイラストレーターになろうと考えていたんです。
それで卒業してすぐに上京してきたのですけれども、
たまたま「GAMEST」という雑誌にスクウェアの求人広告が掲載されていまして。

 
杉浦:

どんな感じだったのですか。

 
本根:

「FINAL FANTASY VI」のグラフィックが載っていたんですけれども、
ドット絵が、すごく絵画的だったんです。
「ゲームの世界にもこういった“絵”が求められるようになってきたんだ」
だったら自分もやってみたい、って思って。

 
杉浦:

そんなにインパクトのあるものだったんですね。

 
本根:

ええ。実は私、大学はデザイン科の出身なんです。
そこで商業イラストレーションの勉強をして行く中で、
人の生活とファンタジーアートの関係に興味をもって取り組んでいました。
そういった流れや、当時の自分の“絵”に対する考えと
スクウェアのイメージが自分の中でぴたりとはまって、即応募しました。

 
 
杉浦:

当時は、芸術系の大学に通っている生徒のゲーム業界への就職は少なかったんじゃないですか。

 
本根:

そうですね。
大手数社以外は求人すら見かけなかったような。
たしかに選択肢として無かった、というのが正しいかもしれません。

 
杉浦:

ゲーム業界以外に広告業界とか他に受けたところはなかったんですか。

 
本根:

それがないんです。ゲーム会社もスクウェア一本で。
なので、スクウェアに内定が決ってなかったらこの業界にはいなかったと思います(笑)。

 

グラフィックに対する考え方

杉浦:

ゲーム業界に入って沢山のハードが入れ替り、その様子を間近に見てきたわけですが、
今までのCGの移り変わりをどう感じていますか。

 
本根:

ゲーム業界に入った当初は自由に絵を描かせてもらっていたんですけれど、
スーパーファミコンは随分と制限があるもんなんだなあ、と思いました。
それでもファミコンに比べれば贅沢な仕様だったんですけど。

 
杉浦:

例えば、どんなところでしょう。

 
本根:

色数もそうですし、使える絵の大きさなど、
実はすごい組み合わせで出来ていたっていうことをその時知って、
これは職人技だと思いました。

 
杉浦:

確かその頃の上司は高橋(哲哉)さんだったんですよね。

 
本根:

はい、そうなんです(笑)。
それまで全くパソコンなんて触ったことなかったですから、
電源の切り方を知らなくて、電源のスイッチをブチっと切っていたらマシンが壊れてしまって……
それが最新のMacだったりしたものですから、何回か怒られました。

 
杉浦:

何回か?……ということは何台か壊したんですか?

 
本根:

ええ……(笑)。 懐かしいなあ。
当時はパソコンも携帯電話も、個人で所有している人のほうが珍しかったですから、
高橋さんにセーブとロードの概念から教えてもらうところから始まりました。
で、それから次のハード、
プレイステーションとNINTENDO64になるんですけど、
そのハードに移行するために、いろんな業種から人を集めて。
その人たちと打ち合わせをすると、それはもう夢のような話になるんですよ、
あれができるに違いない、これができるに違いないって。
で、蓋を開けたら案の定、メモリが足りないねってなって(笑)。
それからは各チーム手探りでやっていきました。

 

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