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代表取締役 杉浦博英

モノリスソフトの目指す未来

モノリスソフト設立の経緯

会社設立にあたって色々とお聞きできればと思いますが、
まず初めに杉浦さんご自身のことをお聞かせください。なぜゲーム業界を選ばれたのですか。

実は私、音楽大学出身でして、コントラバスという楽器をずっと弾いていたんです。なので卒業したら楽団員になろうと思っていました。それで就職活動を始めようと色々と調べていたんですが、楽団員の初任給が思ったより低い金額だったんです。当時はちょうどバブルの絶頂期で、もう、お金が湯水のように湧いてくる時代だったので、そのギャップに驚きました。そこで将来をもう一度見つめ直して、楽団員の道はあきらめようと。そうして、一般企業への就職を考え始めたんです。ですが世の中甘くはなくて、なかなか内定にまで至りませんでした。

そんな中、アスキー(当時。後にエンターブレインに吸収合併され解散)という、コンピュータ関連の雑誌や書籍を制作する、非常に勢いがあって元気な会社があったんです。そこに入社できることになり、ゲーム事業部の営業職として働くことになりました。

音大生からゲーム業界の営業職。初めての仕事はどうでしたか。

「営業は足で稼ぐ」っていう言葉がありますけど、それこそ色んな所のお客様のもとへ出向いて...そこでゲーム業界の、商品がお客様に届くまでの流れを――お客様とつながるところと、流通の方々と接するところと、どんな仕組みでモノが作られて、パッケージングされて、どういう風に出荷されていくか、という一連の流れを知ることができました。

それから、ゲーム誌の「ファミコン通信」(現・ファミ通)編集部へ異動になりまして、そこで広告営業として働きました。1年という短い在籍期間ではありましたが、ここでは「出版・メディアとは」という――ゲーム業界とは別の仕組みが学べた場所でした。

その後、アスキーを辞めまして、別の大手の宣伝部に入社しました。当時、ゲーム番組を幾つか持っていたので、「高橋名人」ならぬ「杉浦名人です」なんて言って(笑)、東京12チャンネル(テレビ東京)の番組に2ヵ月くらい出ていたこともありました。

なるほど。ここで企業のいわゆる「IR・PR」という部分を学ばれたのですね。

そうですね。その後は、飯野賢治氏(故人)が設立したゲーム開発会社のワープに入ることになりました。ワープでは開発にべったりと寄り添って、営業や宣伝、総務の仕事から資材調達まで。その一方で社員のケアをしたり、時には「杉浦さん、トイレ詰まっちゃったよ」というところまで対応してました。それこそ、ありとあらゆるものを――会社という組織の中の隅から隅までやったという感じでしたね。

この時に、スクウェアの橋本さん(現・スクウェア・エニックス 執行役員 橋本真司氏)と出会いまして。当時、スクウェアは業界から広く人材を求めていた時期でしたので、その流れにのって私も入社することになりました。

スクウェアに入社されてからは、どのようなことをされていたのでしょうか。

当時、私のように新しく入った人間は、まず新興の外部のパートナー企業や、社内の新規開発ラインを担当することになっていたんです。その時、弊社の野村(取締役 野村匡)は既に古参のスクウェア社員で、色々なタイトルのプロデューサーをしていました。一方私は新人で、まだ予算も持ってないですから、社内の開発ラインが使えない。それで、ゲームを作りたいとなると、ゲーム開発のできる会社を探さないといけないんですね。通常であれば、どこから動けばいいんだろうと戸惑うと思うのですが、前職で経験していたこともあって、なんとか見つけてきました。自分のプロデューサーとしての下地は、ワープとスクウェア時代に完成されたものだと思っています。

このスクウェア在籍時に高橋(取締役 高橋哲哉)に出会うわけですけども、当時はいろんな事情で自分たちの企画が立ち上げられなくなった時がありました。そんな状況下「オリジナル作品はぜひ作りたいね」という話になりまして。当時、私は31歳だったんですが、冒険を――チャレンジをしようということで、高橋と本根(取締役 本根康之)と3人で、1999年にモノリスソフトを設立することになりました。

それから様々な苦労が待ち受けていたのですが、2007年に任天堂の傘下に入って、今年で11年目になりますけども、「ゼノブレイド」(2010年発売の1作目)でユーザーの評価を得られて、やっと「ここからかなあ」と感じているところです。

設立後の経営体制変遷

ナムコ(現バンダイナムコゲームス)の出資で設立し、2007年には株式譲渡で任天堂の子会社となりましたが、このあたりの経緯などを教えて下さい。

最初にモノリスソフトを立ち上げた時に、非常にお世話になったのが、ナムコ創業者の中村雅哉さん(故人)でした。中村さんのモノづくりにおける思想にとても共感していて、当時は本当に良くして頂き、色々なお話をさせて頂きました。その中村さんが引退をされ、新しい空気が入って――それは当然のことなのですが、中村さんの偉大なる思想が変化したと感じたんです。

企業の合併や、経営陣の交代などで見られますよね。とても難しい問題だと思います。

そうですね、どちらに偏りすぎてもいけない。でもその選択を迫られた時に、会社設立のきっかけでもあった「オリジナルなものを作り続けたい」という強い思いはあって――ではどうしていけばいいだろう? と考えていたところに相談に乗って頂いたのが、当時の任天堂専務の波多野信治さんでした。波多野さんは「もっともっとインディペンデントな独立心のあるオリジナルの、業界のどこを見渡しても無いゲームをとにかく作っていきなさい」とおっしゃってくださったんです。これがまさにモノリスソフトが目指すところだったんですね。それで任天堂の傘下に入る事にしました。

モノリスソフトという会社の大きな分岐のひとつになりますよね。不安はなかったのでしょうか。

不安がなかったといえば嘘になりますが、任天堂傘下になるということは任天堂プラットホームのゲームしか作れなくなる、という心配はありました。――パソコンゲームですら作れなくなってしまう。そのような制限された環境に飛び込むというのは、一つのチャレンジではありました。ですがその不安を任天堂さんに非常に理解して頂けて、「このワンハードだけで、これだけの期間と人員を使ってモノを作りましょう」と挑戦させて貰えるんです。今の業界そんなことを言ってくれるのは任天堂さんくらいではないでしょうか。「とことんいけるところまで作るぞ」という環境を得られたのは、任天堂さんの後ろ盾あってのことだと思います。

任天堂傘下になって"変わった"と感じる部分はありますか?

それは、"意識の変化"かと感じます。内容が良くないと任天堂さんも商品化を許してくれませんので、そのハードルはおのずと自分たちの中でも上がっていきました。「これってこのクオリティでいいの?」という皆の意識水準が、モノリスソフトの立ち上げ当初と比べるとずいぶんと変わってきていると思います。この意識水準の変化も任天堂傘下に入ることによって得られた環境があってこそですが、経営的にはそのバランスをどう取るのかというのが一番重要ですね。

企業ビジョンについて

1999年のモノリスソフト立ち上げから現在に至るまでの間にゲーム業界自体も大きな変革を遂げてきたと思いますが、杉浦さんが当初、思い描いていたビジョンに変化などはありましたでしょうか。

私はもう50歳になりまして、この"50歳"の感覚のままクリエイティブな能力や、色合いを作品に映し出すことは良くないのではと思い、現在では、第一線から身を引いています。今後は、どちらかというと現在社内で活躍する若手のような、可能性のあるクリエイターを発掘して、「モノリスソフトという環境」を使いながらサポートをしたい――もっと分かりやすく言えばデビューをさせたい、と考えています。

今社内で活躍している中堅どころを脅かすような、そんな若手が現れてほしいなと。こういう人材は我が社に限らず、ゲーム業界全体に必要だと思います。「生きのいいのが入ってきたな」という声がまだ聞こえてくるような、そういう人材が集まってほしいですね。

それはやはり、ゲーム業界経験者になりますか?

ゲーム業界経験者でなくとも、幅広く、色々な業種の人材が集まればと思っています。もう今はゲームという定義もずいぶんと変わってきていますし、ゲームを作ったことがなくても面白いと思う発想があれば、それを何とか形にしていく力になりたいですね。

モノリスソフトの魅力

現在のモノリスソフトについて「ここは他社に誇れる良いところだ」「今後はこうしていきたい」と感じている点などがあればお聞かせください。

まず一つは労務環境でしょうか。これはゲーム業界でトップクラスと言っても過言ではないくらいに安心して働ける環境になっていると思います。

いわゆる"みなし残業(賃金の中にあらかじめ残業代を含ませておく制度)"はモノリスソフトにはありません。有給休暇も申請すれば、よほどのことがない限り受理しますので、有給取得率も高いですね。福利厚生関係も法的な面で完璧なものになっていると思いますので、不安要素は無いと考えています。

裁量労働制という言葉が定着して久しいですが、特に問題な点は何でしょう?

特にみなし残業が一番の問題だと考えています。面接に来られる方々の話を伺っていると、びっくりするような会社があります。ですので、ここはもう生涯にわたって取り組もうと思っています。

モノリスソフトの目指す未来

モノリスソフトの将来はどのようなものにしたいと思ってますか。

少し長期的な視点になるのですが、目先の大成功ではなく、10年後、30年後にも従業員が安心して働ける会社を維持していきたいというのが目標ですね。日本では10年もつ企業が10%程度と言われていますが、そんな中で50年――ちょうどモノリスソフトは再来年(2019年)で20周年になるのですが、"50年もつ企業"というさらに確率の低いところ、目標としてはすごく高いところを目指しています。

そこを目指していく過程は、決して順調な道のりではないと思いますが、それでも経営母体のマネジメントをしっかりとしていれば、社員に対して生活水準が不安定になると感じさせることはないと考えています。私は日頃から社員の家庭の安寧を祈っていますので、そこを厳守することは一番重要だと思いますね。

それでは最後に、モノリスソフトの作品を愛するファンの方々へのメッセージがあれば一言お願い致します。

今までに皆さんが体験したことが無いようなものを今後は作っていきたいと思いますので、ぜひご期待ください。

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